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2008,8,19 映画雑感:『ドラゴン・キングダム』
2008,8,15 "Gran Torino" 撮影レポ
2008,8,12 映画雑感:『ハプニング』
2008,8,8 アニメ雑感:「宮崎駿のすべて 〜『ポニョ』密着300日」
2008,8,3 アニメ雑感:『崖の上のポニョ』
2008,8,2 アニメ雑感:ジブリとマルパソ

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映画雑感:『ドラゴン・キングダム』 2008,8,19

まず、冒頭の配役クレジットで「おや?」。
『タワーリング・インフェルノ』における、マックイーンとニューマンの苦肉の策の配列は有名な話ですが、それをもうチョイ工夫した感じで、両者の頭文字が“J”なのでそれを“『”型にダブらせ、左縦書きでジャッキー、上横書きでジェット、という具合なのですが、「えっジャッキーの方が先輩なんだから先でないの?」と思うのですよ。
ここんとこ、香港(中国)で製作されていたならどうだったんでしょうね。


本編自体は殺陣など一応は両者に華をもたせる形となっており、これもまあ当然かなと思いつつも、若干ジェットの方が見せ場が多いのかなって気もしました。
『シティヒート』は、クレジット順はもちろん、役回りまで、完全にバート・レイノルズがイーストウッドに気をつかっている構成でしたが、本作の場合、どうもジャッキーの方が、“アニキ”としての余裕からか一歩引いて、ジェットを立てている感じでしたね。
その辺りはそれぞれのファンによって捉え方は違うのでしょうけど、私は、チョイ悪の悟空と寡黙な僧のキャラをしっかり演じ分けてた点で、やっぱりジェットが美味しかったなと感じました。
善玉もヒールも出来るジェットの演技の幅に比べると、ジャッキーはちょっと分が悪いですし、ジャッキーのアレは、エディ・マーフィと同じで、どんなにメイクでごまかしてもバレバレなんですよね(笑)。




さて、本作の脚本を担当したのはジョン・フスコ。
オープニング・クレジットのデザインからタランティーノみたいなオタク系かとフィルモグラフィをチェックしてみたらそうでもないようで、『ヤングガン』シリーズがヒットした他には、パッとしないライターさんです。
ただ、脚本処女作に『クロスロード』が!


『クロスロード』は、1986年のウォーター・ヒル監督、ラルフ・マッチオ主演の作品で、日本の地方公開時にはコロンビア作品ということで、『スタンド・バイ・ミー』の併映になりました。
ジュリアード音楽院でクラシックを専攻している優等生であるのに、なぜかブルース・ギタリストを夢みているという若者が、尊敬する伝説のギタリストの未発表曲を求めて旅する物語で、ウォーター・ヒルと音楽担当のライ・クーダーの趣味全開のプライベート・フィルムみたいなもんですな。
ひたすら地味なロード・ムービーなのですが、ラストで“超絶ギタリスト”スティーヴ・ヴァイが登場し、主人公と、ブルースとは関係ねぇだろう!のギター・バトルを繰り広げるというスポ根ドラマに変わってしまうという怪作ではありますが、なかなか面白かったと記憶しております。


で、なんでこの作品を持ち出したかと言いますと、主人公に同行するのが、かつて最高のブルース・シンガーと謳われた老人で、旅の道程で彼が、「ブルースとは何ぞや」とその真髄を主人公に伝授していくんですね。
で、そこにジャミー・ガーツ(笑)扮する家出した少女が同行し、主人公は彼女に惹かれていったりと、なんか『ドラゴン・キングダム』は“ブルース”が“カンフー”に変わっただけじゃないかと思ったりして。
まあそれは、鑑賞後の単なる後付けの考察に過ぎないわけで、鑑賞中はむしろ、同じラルフ・マッチオ主演の『ベスト・キッド』を思い浮かべていたり、ラストについては、原作者が激怒して裁判沙汰になった『ネバーエンディング・ストーリー』のそれを思い出したりして色々と楽しめた作品でした。



“2大スター夢の共演!”という触れ込みに期待過剰でスカされた人も多いかとは思いますが、その昔、『マジンガーZ 対 デビルマン』や『シティヒート』を観た後の脱力感を経験して免疫がついてる方々には全く無問題のお勧め作品ですね。


"Gran Torino" 撮影レポ 2008,8,15
以下は、先月のものですが、 "Gran Torino" の撮影が始まったミシガン州ロイヤル・オークの地元紙の記事より。


いつものように、自己流の拙訳ですので悪しからず。
[一部アドバイス:むっしゅ様(「がんばらない英会話」http://ganbaranai.jugem.jp/)サンクスです!]

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Royal Oak has role in latest Eastwood film
(イーストウッドの最新作で一役買うロイヤル・オーク)

理髪店がセットとして使われることで、交通渋滞が予測される。

2008年7月18日
文:Catherine Kavanaugh
デイリー・トリビューン紙スタッフライター



ロイヤル・オーク発


テッド・ヴィドグレンが、これまでに最も近づいたお気に入りの映画スターはクリント・イーストウッドである、
彼はカリフォルニア州カーメルの有名人経営のレストラン"Hog's Breath's Tavern" でサンドイッチを食べていた。
それは18年前のことだった。


現在は、11マイルロード・204E でヴィドグレン理髪店を経営する彼は、土曜日、自分の職業でイーストウッドを歓待する予定だ。今日と土曜日、そこでは、映画 "Gran Torino" の製作スタッフが今日と土曜日、同作の場面を撮影中である。



「彼らが私の理髪店を見つける前に、60の店を見て回ったと聞いているよ」とロイヤルオークに住む89歳のヴィドグレンは語った。
「古くからの備品がそのまま残っているから、私の店が選ばれたんだ」。



茶色の羽目板に掛けられたヴィドグレンの古い額入り写真、年季の入ったかみそりの陳列棚、昔ながらの赤と青の床屋の看板柱は、自分の大事な所有物 -- 1972年型フォードを盗もうとしたモン族のティーンエイジャーを更正しようと一生懸命な不機嫌な朝鮮戦争の帰還兵役を演じるイーストウッド主演映画のセットの一部になる予定だ。



「イーストウッド氏が映画を監督・主演するということで、私たちはどの観客にも、サインをせがんだり写真を撮ったりするために彼に近づかないよう頼んでいます」とロイヤル・オーク警察中尉のゴードン・ヤングは語った。
彼は映画製作者たちと警察署の連絡役である。
「彼は映画に注意を集中できるでしょう」。



ヤングは、映画製作のためにその地域での交通と駐車を禁止する予定であることを言い足した。 11マイルロードは今日の午前8時から土曜日の午後9時まで、センター・ストリートとワシントン・アベニュー間で東西それぞれ1車線の通行に制限される予定だ。



「撮影本番の間は、交通が3〜5分間断続的に中断される予定です」と、ヤングは言い足した。



また、センター・ストリートは木曜日、11マイル・ストリートからユニバーシティ・アベニューまでの南行き道路が交通止めになった。 それは土曜日の午後9時に解除される。 北行きのドライバーは通ることができる。



さらに、レオのコニーアイランドの後ろに位置する、11マイル駐車場にある27個のパーキングメーターが映画制作班の使用のために確保されている。



ヴィドグレンの娘の夫フランク・ミルズによれば、木曜日にセット製作の図面作成担当者たちは、1938年にロイヤル・オークで最初開業し1970年以降11マイルにあるという設定の理髪店用の小道具をカートで運んでいた。 さらに彼らは、“マーチン理髪店”という新しい窓の看板を描き、“新古”のブラインドを吊るしたという。



ミルズは、映画の製作会社は、理髪店を借りることで失う収入をヴィドグレンに支払っていると言い足した。



ヴィドグレンは、自分と妻ファーンが50回目の結婚記念日を祝ったカリフォルニアへの旅行の際、イーストウッドの店への訪問を楽しんだと語った。 ヴィドグレンは、いくつかのもてなしにお返しすることを楽しみにしていると語った。



「あの店のサンドイッチはあまりに大きかったから、海岸沿いを歩き終えるまでずっと食べつづけてたな」とヴィドグレンは回想する。



"Gran Torino" は、今年ロイヤル・オークで撮影される3本目の映画である。 女優のルビー・ディーやシガニー・ウィーバーも、それぞれ、"Red, White and Blue Marbles"、"Prayers for Bobby" の撮影のために町に滞在した。



"Gran Torino" には、イーストウッドの他、コワルスキーの息子ミッチ役としてブライアン・ヘイリー(「ディパーテッド」)が出演する。 同作は12月公開予定である。



ヤングは、現在まで警察は、他のどの映画会社からも道路閉鎖や群衆整理に関する問い合わせはないと語った。



「映画俳優組合がストライキをする恐れがあることで、しばらくの間、そうなりそうです」と、彼は語った。
「どうなることやら。」



映画俳優組合の契約は6月30日に期限が切れた。


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"IMDb" では、キャストがぼちぼち追加されてますが、これがまたほとんど無名の役者さんばっかりで、大物スターが出演する "Changeling" "The Human Factor" とは対照的ですね。
その2作は持ち込み企画で製作費の心配も無いわけですが、こちらは内容といいかなり地味な作品ですから、予算はかなり低額なんでしょう。

とりあえず前後の作品である程度の収入は見込めそうでしょうから、興行成績を気にせずに自由に作られるプライベート・フィルムぽく、ファンとしては本作が一番楽しみな作品のような気がします。


最後に書かれていた、映画俳優組合のストライキについては可能性低いとのことです。↓
・バラエティ・ジャパン
http://www.varietyjapan.com/news/business/2k1u7d0000086mji.html


映画雑感:『ハプニング』 2008,8,12
ダメモトでサービスデーに行ってきましたが、『シックスセンス』以降の作品の中では、一番面白かった・・・かな。



“箇条書き・プロット”だけで行っちゃってる感じは「ポニョ」みたいな感じでしたが、(前回に書いたドキュメンタリーを観る限り)宮崎監督は展開の繋ぎをそれなりに悩んで考え出していたと思うのに対し、シャマランの場合は、トイレや風呂場でパッと思いついたことをスラスラ書いていって、「これでいいのだ!」と言って終わりなんでしょうね。
脚本の推敲うんぬんはさておき、毎回、その脚本読んですぐに出資する映画会社も凄いなと感心しちゃいます(笑)。


因みに、2000年以降、宮崎監督の新作が公開される年は必ずシャマランの新作が日本公開されるのですが、宮崎作品が3〜4年のスパンに比べ、シャマラン作品はきっかり2年ごとに発表されており(次回作は2010年予定)、宮崎さんが2年煮詰まってる間に、シャマランは「これでいいのだ!」とあっさり書き上げているんでしょうな、なんだか産みの苦しみとは無縁の人のようですが、次回作は原作付きだとか。


そんな風にストーリー自体は相変わらずのトホホぶりだったのですが、では何が面白かったかといえば、登場人物にまともな人が出てこない、どこかエキセントリックな人間だらけだったという点です。
ひと昔前のディザスター映画(動物襲撃モノ、乗り物関係含む)では、登場人物にチャールトン・ヘストンみたいな強力なリーダーシップを発揮する人物がいて、パニくった人々を冷静に統率して難局を無事に乗り越えていったものですが、本作の主人公であるマーク・ウォールバーグは、学校の科学の先生という前振りがあるにもかかわらず、その知識が何の役にも立たずにただウロウロするだけ、彼と行動を共にする人たちにも全く一致団結感がないし、途中で出くわす人々はアブないヤツばっかりなんですね。


しかしですよ、もし私たちが災害など逼迫状態になって他人と一緒に行動することになった時に、そこにチャールトン・ヘストンみたいな人物がいる確率は極めて低いでしょうし、その中にいたデブおばさんが実は元水泳選手だったという奇跡のような(都合良い)ことも無いでしょう。
一緒に行動する人たちが、本作のような人物ばっかりだったら(注:自分もそうだから人のこと言えないですけどね・笑)・・・、とふと考えてしまったわけで。



そういえば、『クローバーフィールド』の主要人物のキャラや行動模様もおなじ感じでしたが、いざ有事になったら、実際そんなもんなんでしょうね。
さらにこの2作品に共通してるのが、災害の素よりもむしろ、今の情報過多の時代に情報が取れない=「何が何だかわかんねぇ!」 という状態に人々がパニくっていること。
そういう意味では、ローランド・エメリッヒが作るようなディザスター/パニック映画よりも、よっぽどリアルじゃないかと思いました。

アニメ雑感:「宮崎駿のすべて 〜『ポニョ』密着300日」 2008,8,8

そんなわけで、8月5日に放送された、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の宮崎駿特集を観ました。



前回放送された特集では、密着取材したディレクターの間抜けな質問ぶりが気になって、そこんとこをここでも酷評したのですが、(局内でも同じような指摘があったかどうかわかりませんけど)、今回は、無駄な質問は極力控えめにして、宮崎監督の仕事ぶりや独白を淡々と追ってました。
もっとも、あいかわらず茂木&住吉の司会コンビの質問はつまらないものばかりでしたけど。
というのも、ディレクターを含めて聞き手が宮崎さんより年下で、なんか恐る恐るというか、ヨイショしたような物言いなんですよね。
無理だとは思いますが・・・、例えば石原知事とか田原総一郎とか、「アクターズスタジオ・インタビュー」のホストであるジェームス・リプトンみたいな、同年代もしくは年上で、ズケズケ切り込んで行くタイプの方がもっと面白い話が引き出せると思うのですがねぇ。



最初に気になったのは、宮崎さんの肩書きのテロップが「映画監督 宮崎駿」になっていたこと。
押井守のように実写作品を撮った経験があるのならまだしも、“映画監督”ってのはどうも違和感がありますね。
“アニメーション作家”じゃダメなんでしょうか。



亡き母親への想いがこれまで作品の女性像に反映してきたという考察は悪くないけど、もうひとつ、最近の作品で顕著になってきた“老い”や“死生観”に対しての宮崎さんのコメントが聞きたかったですね。
友人のアニメーターが最近亡くなったことについてのエピソードから、幾分読み取れそうではありましたが、もうちょっとそこんとこを掘り下げてほしかったです。



番組後半は、クライマックス前でフキが宗介を抱きしめる件のアイディアおよび絵コンテが描けずに苦しむ宮崎さんを追ってるのですが、この部分に限らず、やっぱ相当、ストーリーテリングに悩んでいたのがアリアリ。
悩んでいた監督には悪いのですが、私はあそこはそれほどエモーショナルなものは感じられなかったですなあ。
それまでの話が巧く繋がってないから、そこだけとってつけた感があって。
『ラピュタ』においてドーラがシータを抱きしめる場面のような、グっとくるものはなかったです。
それはともかく、本作がイメージだけでドンドン行っちゃって、ストーリーは後付けというのが、今回の番組を観て納得でした。
同時に、たらればの話ですが、もし、NHKが密着取材なんかしていなかったら、もっと違う話になっていた気もするんですが・・・。



番組で、一番面白かったのは、若い女性アニメーターに、絵コンテからの作画を指導している部分。
水魚が海面に落下する動きについて、
「ここは、ガッーと来てグニョグニョと来て〜」
と身振り手振りで説明してるのですが、
これって、長嶋さんが打撃を指導する際の、
「腰をグっ!と引いて、バーン!と打つ、グッと引いてバーンね」
といった物言いとおんなじですね(笑)。

先のアニメーターは、イマイチ理解できてない表情をしてましたが、やっぱ“天才”と呼ばれる方は自身しかわからない感覚的な表現をされるようで、こういう人の下で働く人たちは大変ですね。



ラストは、テスト試写の様子がチラっと出てましたが、一部報道によれば、「子供たちに反応が無くて監督が落ち込んだ」とありましたね。
番組で出た試写と報道にある試写が同じものかわかりませんが、画面で観る限りは宮崎さん、それほど暗い表情してませんでしたが。
試写後のコメントはありませんでしたが、そういうネガティブな部分はカットしてたりしてませんよね??



NHKの番組HP:
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080805/index.html


アニメ雑感:『崖の上のポニョ』 2008,8,3
そんなわけで『ポニョ』です。


「カリ城」を彷彿させる、ポニョが波に乗って宗介の乗る車を追い掛ける辺りまでは面白かったんですがねぇ・・・後半からグダグダ。
今さら『E.T.』系みたいな話も御免だけど、“5歳の子供にわかってもらえる話”(監督談)というわりには、ピクサー作品にあるストーリーテリングの妙みたいなものに欠けていて、ポニョのキャラクターのみで持ってる感じでした。
老人ホームの女性キャラなんて、ピクサー作品だったら、主人公のピンチを救う“キーパーソン”になるはずなんだけど、本作では存在意義がよくわかりませんでした。




さて、“大人”の観客の興味の対象となるのは、たぶんポニョの父親・フジモトではないでしょうか。
彼の過去については描かれず、観客はそのセリフの端々からそれを読み取ることになります。
セリフの行間を読ませたり、観た人それぞれの想像に委ねる、というのは『ミリダラ』の主人公とか、近年のイーストウッド作品でおなじみであり、そういう手法をアニメに持ち込んでも別に構わないのですが、であれば、劇場パンフの(公式的な)人物紹介にて、あれこれ補足してるのはナンなんだ、それは反則ではないですか。
フジモトにそれだけいろんな背景がちゃんと用意されているのなら、少しでも多く描くべきだと思います。
イーストウッドはそういう不明な部分をインタビューで尋ねられても、わざとぼかして明確には答えずにあいまいなままにして、あくまでも“観客の想像”を尊重しているのに対し、本作の場合は“後出しジャンケン”のようで、その描写不足を作り手の怠慢と受け止められても仕方がないでしょう。
故に、“5歳の子供にわかってもらえる話”というのが、なんだか逆に言い訳に聞こえてくるんですよね。



作画について詳しいことはわかりませんが、個人的には、“陸上型ポニョ”含む日本人キャラの顔(宮崎アニメ従来の「和風キャラ顔」)と、フジモトとグランマンマーレの海底キャラの外人顔がミスマッチなようでどうも気になりました。
「千尋」辺りから、和風キャラと洋風キャラの書き分けがはっきりしてきたように思いますが、これまでの宮崎アニメは、舞台が日本であれば日本人のみ、外国なら外国人のみと、(永井豪や松本零士作品のような)日本人と外国人キャラはほとんど交わることはなく、作品の中で“絵ヅラ”が統一してたと思うのです。
「カリ城」においては、ルパン一家とカリオストロ側の人間に違和感はなかったのは、たぶん大塚康生の作画だったせいもあるし、「ハウル」は当然、全部外国人だったので気にならなかったんですがねぇ。
極端な例えだと、「サザエさん」に、出崎統アニメの濃いキャラが同居してるような感じというのでしょうか(笑)、今回はどうもその辺が気になっちゃって。



『もののけ姫』以降、作品の発表毎に大量に出される研究書での考察がお嫌いなのか、強いメッセージ性や哲学的なものはあまり感じられませんでしたが、私なりにそういう“深読み”をさせていただくとすれば、それは“魔法”かな。
「千尋」「ハウル」と今回もドラマのキーワードとなっていて、“魔法の効力”がクライマックスに絡んでくるのだけど、“魔法”を宮崎さんの“アニメ作家としての仕事量と老い”と重ねてみると興味深いッス。

・魔法を乱用してバリバリ仕切り状態の湯婆婆に対し魔法を多用せず隠居状態の銭婆は、余計な仕事をしたくない監督の願望?

・ハウルは、心臓を代償としたことで魔法を手に入れており、これを乱用すると人間じゃなくなる。
 これは仕事のし過ぎによる体の酷使に対する恐れ?

・人間を辞めて魔法使いになったフジモトと、魔法は要らんから人間になりたいポニョ。
 監督、とにかく仕事したくないんでしょうか(笑)。

一方で、魔力を奪われ急に老け込む荒地の魔女、魔法で若返りしてしまう老人ホームのトリオとか、仕事がなければただの老人になってしまうことへの複雑な思いもあったりして、まあよくわかりませんけどね・・




全体的な印象としては、“生みの苦しみ”が感じられた作品で、またもイーストウッドを例に出して恐縮ですが(笑)、彼の場合、自分でこれが面白いと思ったら、とにかく映画にしたいという欲が旺盛であるのに対し、宮崎さんの場合、本人の製作意欲と関係なく周囲の圧力で無理やり作らされてる感じで気の毒だなって思います。
まあイーストウッドは自分で脚本を書かない人だからそれが出来るとも言えますが、一方で自ら脚本も書いて1年に1本は作品を発表してるウディ・アレンなんかもいるわけで、結局はアイディアの引き出しの量も関係してるとは思うんですけどねぇ・・・。
さらにいえば、イーストウッドは、(硫黄島2部作辺りからそうでもなくなってきたけど)「ミリダラ」までは資金集めに苦労してたし、アレンも最近は国内のスタジオが金を出してくれないからイギリスで作っているというのに対し、ジブリや北野武は製作費に何ら不自由してないのに、作品になんか「絶対作りたい!」という熱意が感じられないというか、むしろ、製作費捻出に苦労していた時代の作品の方が輝いてた、というのは皮肉ですね。




そういえば、8月5日、NHK 「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、また宮崎駿特集をやるそうな。
去年放送した回の続編ともいえる内容らしいのですが、前がトホホだったので今回はどうなんかなぁ・・・。

アニメ雑感:ジブリとマルパソ 2008,8,2

♪ポ〜ニョ ポ〜ニョ ポニョ さかなの子 青い海からやってきた

♪心を何にたとえよう、鷹のようなこの心

♪生きている不思議 死んでいく不思議 花も街も風もみんなおなじ〜



何故か自然に覚えて口づさんでしまうジブリ作品の主題歌ですが・・・、



♪男は誰もみな 無口な兵士 笑って死ねる人生 それさえあればいい

♪動く標的 狙いをつけて 燃え上がる真昼の静けさは〜

♪愛した男たちを 思い出にかえて いつの日にか僕のことを 想い出すがいい



なんて、フレーズも未だに覚えてるわけで、最近、ジブリ作品の新作が公開される度に思い出してしまうのが、70年代後半〜80年代に邦画界を席巻した、かつての“角川映画”。
公開前から主題歌やキャッチ・コピーと話題先行型でなかなか中身が伴わない点、作品の監督よりもプロデューサーが目立つ点とか、似てきちゃったりして。




それはさておき、『崖の上のポニョ』の公開を記念して、金曜ロードショーでは「ジブリ祭り」が開催され、7月11日には『ゲド戦記』が放送されました。
劇場公開時には、否定的な感想というか酷評が圧倒的に多くパスしてたもんで早速拝見したのですが、まあ噂にたがわぬ出来でございました(笑)。
「ドリフ大爆笑」じゃないけど、つい「もしも宮崎吾朗&鈴木敏夫が・・・を映画化したら」ということをいろいろ考えてしまったわけですが、改めてネットで作品評や裏話などをチェックしてたら、ふと素朴な疑問が。
「スタジオジブリって、宮崎駿監督に発言権が無いの?」ってこと。



ジブリはあくまでアニメの製作スタジオであり、実写作品の製作運営はまったく違うことを重々承知の上、引き合いに出せば「マルパソ・プロ」。
イーストウッドがやりたい企画はどんどん手掛けるし、色々持ち込まれる企画も当然気に入らなければ当然 NO、と非常にわかりやすいワンマン会社なのでしょうが、ジブリの場合、「ゲド」なんか宮崎さんが“ダメ!”って言ったら、そこで即、その話はおしまいっていう流れにはならないもんなんすかねぇ。


まあ、マルパソですら、ソンドラ・ロックの『ラット・ボーイ』とか、娘アリソンの "Rails & Ties" とか、吾朗ちゃんと同じく(成功作とは言いがたい)素人の監督デビュー作を手掛けているわけですが、この2本はどちらかといえば、彼女らに“おねだり”されてイーストウッドが渋々製作をOKしたようなもんで、イーストウッド作品の常連スタッフが参加してはいるものの、製作に本人の名はクレジットされていません。
ただ、それらは最終的にイーストウッドが出資を了解しなければ絶対作れなかったわけで、そうしてみると、会社の看板である駿さんが反対してるのに周囲が無理やり企画を押し通した「ゲド」の製作過程ってのは、どうも理解しがたいですね。
宮崎さんはどんどん作品は生んでも財布のヒモは持たせてもらってないってことですか。


因みにマルパソでは、

70年代〜80年代:ロバート・デイリー
80年代前半:フリッツ・メインズ
80年代後半〜90年代前半:デヴィッド・ヴァルデス
90年代後半〜2000年代:トム・ルーカー
『ブラッド・ワーク』から:ロバート・ロレンツ

と、ある一定の期間で作品のプロデューサーが変わってるんですね。
そのことにイーストウッドの意向がどのように働いているかはわかりませんが、どうやら一定期間続けて担当した後は、同じポストに再登板しない人事体系らしいのかな。
イーストウッド一代の会社だから、後継者育成とかは特にしてはいないでしょうけど、作品の製作スタッフも含めて、世代交代はしっかりされているようで。


なんかいろいろ文献を読むと、宮崎さんは最近はあまり鈴木氏とうまくいっていない気もするんですが、彼の一存でプロデューサーを変えたりとか出来ないもんでしょうかね。
会社の資本問題とかテレビ局・スポンサーの絡みとか、いろいろややこしい事情はあるにせよ、今やクロサワ並みに日本の巨匠扱いされている割には、宮崎監督本人の立場は、なんか中間管理職ポジション的というのか、五社協定があった時代のスタジオの雇われ監督ぽいなあ〜と思うわけで、独立して新会社でも興した方がよろしいのではないかと・・・。


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